朝早く起きて、満員電車に揺られ、職場でヘトヘトになるまで働く毎日。
それが「普通」とされるこの社会で、あなたはもう、限界を感じていませんか?
本当はもう疲れているのに、生活のために働き続ける。
休むことに罪悪感を感じ、余裕なんてどこにもない。
――そんな生き方で本当に良いのでしょうか?
現代の日本では、「働くこと=正義」「忙しいこと=素晴らしい」という価値観が根強く残っています。
その結果、多くの人が健康を損ない、心を病みながらも働き続けているのです。
もちろん、生きていくためにはお金が必要で、そのために働くことは大切です。
しかし、「必要以上に働くこと」は本当に必要なのでしょうか?
哲学者バートランド・ラッセルは、1日4時間労働を提案しました。
現在の半分以下の労働時間です。
もし、あなたの労働時間が1日4時間になったら、どう感じますか?
「嬉しい」と思った方もいれば、
「家族を養えるだろうか…」と不安になる方もいるでしょう。
私は正直、とてつもなく嬉しいです。

機械やAIの進化により、私たちの生産性は飛躍的に向上しました。
たとえば、かつて1日30個だった眼鏡の生産量が、今では3000個くらいになっているのではないでしょうか?
それにもかかわらず、なぜ私たちの労働時間は減らないのでしょうか?
こうした技術の進歩は確かに人類の生活を豊かにしました。
一方で、技術の進歩には重大な問題が潜んでいます。
それは「労働力の分配の不均衡」です。
生産性の高い人には過剰な労働が課され、
生産性が低い人には仕事が回ってこない。
結果、前者は心身を削り、後者は飢えに苦しむ――。
これは現代社会の狂気ともいえる構造です。
そして、働きすぎにはもう一つの深刻な問題があります。
それは、疲労によって人生が奪われることです。
仕事による疲れは、私たちの行動力、創造性、幸福感を奪います。
疲れた脳と身体では、休日を有意義に過ごすことも難しくなります。
気づけば、テレビやYouTubeでただ時間をつぶし、寝て、また働く
――そんな日々を繰り返していませんか?
では、もし労働時間が減り、体力も心の余裕もあったとしたら…?
平日の13時、あなたは何をしていますか?
休日はどう過ごしますか?
ただ寝るだけの週末ではなく、創造的で能動的な時間を過ごしている自分が思い浮かぶかもしれません。
ラッセルは言いました。
「疲労がなければ、人間は能動的に行動を始める」と。
最初は今までの習慣に引っ張られ、受動的な趣味に逃げるかもしれません。
しかし、やがてこう思うはずです。
「飽きたな」「私は何のために生きているのだろう」
そうして私たちは、自らの人生に問いを持ち、能動的に行動し始めるのです。
実際、古代ギリシアや中世ヨーロッパの文化的繁栄の背景には、「暇な時間」の存在がありました。
人間は、暇な時間から文化を生み出します。
文明は、余白の中でしか生まれないのです。
あなたは今、働きすぎていませんか?
本当はもう疲れていませんか?
幸いなことに、私たちは今、必要な分だけ稼ぎ、それ以外の時間を自由に使うことができる時代に生きています。
もし、仕事を辞めたい、人生が苦しいと感じているなら、
「労働時間を減らす」という選択肢があることを、頭の片隅に置いておいてください。

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